Creator's Interview 片岡洋

クリエイターズ・インタビュー

当時のさまざまな経験が、
現在、非常に役立っています

―片岡さんが入社されたころのAM2研はどのような雰囲気でしたか?

(鈴木)裕さんや名越さんなど、力強いビジョンを持った人が先頭に立ち、そのビジョンを実現するためにチームのメンバーが自発的に動きつつも一丸となってがんばる、といった感じでした。
当時の雰囲気そのままではないですが、現在の第二研究開発本部も、その血を受け継いでいると思います。

―プランナー時代はどのような経験をされましたか?

当時は、いまほど職種の分担が明確ではなく、プランナーと言っても必要に応じてデザインデータを作ったり、プログラマーの手伝いをしたりということもしていました。
さまざまな分野の業務を経験したことは、現在の管理職としての立場で非常に役立っていますね。
プランナーはもちろん、デザイナー、プログラマーなど、各業種のスタッフがどういうことを考えてモノを作っているか、またどんな苦労をしているか、ということがある程度理解できるので。

クリエイターズ・インタビュー

―当時関わった作品で印象に残っているものは?

初めて自分の企画が製品化された、『それいけ!!ココロジー』(1993年)ですね。心理テストを題材にしたアーケードゲームです。
「新入社員の自分でも市場で勝負ができるゲームジャンルはないだろうか」と、実際のゲームセンターをよく観察すると"占い・心理学"系のゲームはカップルに人気があるのにも関わらず、当時はまだパワーのある作品が少なかったんです。
そこで「このジャンルなら勝てるかもしれない」と思い、はりきって企画書を作りました。その甲斐もあって、製品の評判も非常に良かったです。
反対の意味で印象深かったのは、アメリカの航空機メーカー、マーティン・マリエッタ(現・ロッキード・マーティン)とCG技術の提携をして、戦車のゲームを作ろうとした時の話ですね。
ある日、当時の副社長であった鈴木久司さんに呼ばれまして。「英語は話せる?」と聞かれ、「ほとんど話せません」と答えたんですけど、鈴木さんは「まあ大丈夫だろう」なんて言って……結局、ひとりで3ヵ月ぐらいフロリダに行くことになったんです(笑)。
英語をあまり話せない20代の若造が、軍事産業に就く40歳ぐらいのプログラマーといっしょにゲームを作るという……いま振り返れば、良い経験だったとは思いますけど、当時としてはハード過ぎる3ヵ月でしたね(笑)。
それで完成したのが、『デザートタンク』(1994年)という戦車戦のシューティングゲームです。ゲームデザインからバランス調整まで、企画のすべてを担当しましたので、完成時は非常に感慨深かったです。

クリエイターズ・インタビュー
クリエイターズ・インタビュー

―そういったプランナー時代を経て、徐々に管理職へとステップアップされていったわけですが、作品に対する関わりかたはどのように変わっていきましたか?

プランナーと管理職とでは作品への関わりかたがまったく異なります。プランナー時代は、ひとつの作品に対して全身全霊を注いで挑むのですが、管理職になると、そういった全身全霊で挑んでいる作り手をサポートする側に回るんですよね。
ゲームを制作している人は、そのゲームのことをずっと考えているわけですから、「どうやってゲームを良く(面白く)するか」という点では、管理職の人間が勝てるはずがないじゃないですか。
ですから、管理職として「いかに、ゲームを良く(面白く)するか」というよりも、「ゲームを制作している人たちが、いかに成功に近づくか、いかにそれをサポートするか」という関わりかたに変わりました。
以前、SEGA-AM2(現・第二研究開発本部)の社長を任されることになったとき、責務を果たすことができるのか不安に思いつつ、元上司である(鈴木)裕さんにご挨拶に行ったんです。
そのとき、裕さんが黙ってホワイトボードに「立場が人を作る!」って書き始めて。「どういうことですか?」と聞いたら、「結局、やれば何とかなる。そういう立場になれば、できるよ」と激励してくれました。
もちろん大なり小なり仕事をするうえでの苦労はありますが、実際にいまでも「やれば何とかなる」というのはその通りだと思っています。

クリエイターズ・インタビュー

片岡洋[後篇]

株式会社セガホールディングス
セガ 製品情報サイト
セガプラザ公式サイト
セガグループ インターンシップ