- どんな幼少期を過ごされていましたか?

1973年、丑年生まれ、うどん県出身です(笑)。小さいころは山と海に囲まれた自然のなかでのびのびとすごしました。本格的にゲームに触れたのは小学6年生の終わりごろ、クリスマスプレゼントでファミリーコンピュータを買ってもらったのがきっかけでした。その時期はソフトが品薄だったので欲しいソフトは手に入らず、本体と同時購入できたのは『ピンボール』だったと思います。
中学生になると部活動の帰りによくゲームセンターに行くようになって、『スーパーバレー'91』というタイトルにハマってました。このゲームはコートを真横から見た視点でプレイするゲームで、当時としては選手の動きが非常にリアルで魅力的でしたね。中学校ではバレーボール部に所属していたので、練習帰りに部活仲間とプレイして、部活でもゲームでもバレーボール漬けの日々でした。ちなみに、家ではスーパーファミコンやニンテンドー64で遊んでいました。セガのゲーム機は一切持っていなかったです(笑)。

青木盛治

- ゲームクリエイターになろうと思ったきっかけは?

学生時代はインテリアデザイナーを目指していて、そのために中学・高校時代では絵画教室やデザイン専門学校に通ってデザイナーに必要な基本的なスキルを学びました。大学時代ではMacを使ってクラブやイベントのフライヤー制作やDTP(デスクトップパブリッシング)制作などをアルバイトで経験、そこでデザインを仕事にすることの楽しさを知りましたね。その時はゲームに携わる仕事をしようとはまったく思っていませんでした。
就職活動では、当時セガの親会社だった株式会社CSKの1社のみ受けました。この会社を選んだのは、当時CSKにあったCG事業部で働きたいと思ったからです。このCG事業部では、NHKのテレビ番組で放映される最先端CGを作っていたのですが、当時はCGがいまほど当たりまえの時代ではなかったので、時代の先駆けで華やかに見える業界でしたね。
ところが入社したら、「CG事業部はなくなった」と言われまして(笑)。CSKは基本的にシステム開発の会社なので、その後はシステムエンジニアの勉強も兼ねて、1年間はプログラマーとして働いていました。なぜかこの時期の記憶はあまりないですね……(笑)。

- そこではデザインの仕事はされていたのでしょうか?

VB(ビジュアルベーシック)を使ってGUI(グラフィカルユーザーインタフェース)を少し担当したくらいです。この1年間でコンピュータやWindowsについて勉強できたので、ある程度は詳しくなりました。でも、やはりCGやデザインの仕事に携わりたかったので、人事部に掛け合い、グループ会社のCSK総合研究所(CRI)を紹介してもらいました。当時、CRIはセガサターンやPCのゲームを作っていたので、すぐに出向を希望しました。ここからゲーム業界へ足を踏み入れることになります。