Creator’s Interview

"ゲームクリエイター"と呼ばれるのが
苦手なんです。

-セガに入社して、初めて携わったタイトルは?

初めてゲーム作りに携わったのは『デイトナUSA』(1993年)です。入社後に弊社の名越稔洋との面談がありまして、そこでレースゲームへの情熱を伝えたところ、そのままアーケードの『デイトナUSA』チームに配属されました。初めて担当した仕事は、アミューズメントマシンショー(通称:JAMMAショー)出展用デモ映像の制作です。当時は映像を視覚的に操作できるようなCGツールはなく、いちからプログラムを組んで制作していたので、かなり手間がかかる作業でした。チームがそれほど大きくなかったこともありますが、「入社したての私にこんな大役を!」と思いながらも必死で作りましたね。

-入社まえと入社後で、"ゲームを作る仕事"に対するイメージは変わりましたか?

私の時代は、いまほどゲーム作りやゲーム開発者に関する情報(インタビュー記事など)がありませんでしたので、イメージそのものを持てませんでした。しいて言えば、ゲーム(遊び)と言えど会社の仕事ですし「お堅いのかな」と思ってましたが、結論から言うとまったく違ってました。
入社してみると、若い人たちも多くとても自由な雰囲気で、それぞれが"自分の信じる面白いこと"を表現するためにがんばっている職場でした。まさかここまで自由だったとは、体育会系の私には意外でしたね。入社時から時は流れ、ゲーム業界全体が産業化していることもあり、昨今は仕事を進めるにあたり不可欠な"お堅い"案件を手掛ける必要もありますが、それでも"モノ作り"の自由な雰囲気は健在だと思います。

-大崎さんは"ゲームクリエイター"ではなく、"ゲーム屋"を自称されていますがそれはなぜですか?

私は"ゲームクリエイター"と呼ばれるのが苦手でして、自分では"ゲーム屋"と名乗っています。横文字にするのが苦手なんですよね。
ちなみに英語で"the Creator"と書くと日本語だと"創造神"や"創世神"という意味になるのですが、どうも私には大それている気がしてですね……。
私自身は、とにかく"楽しいゲームを作る職人"でありたいという想いから"ゲーム屋"と名乗っています。なお、ゲームは、もうすでにスミソニアン博物館の所蔵品に入っていたり、先日のリオオリンピック閉会式では安倍晋三首相がマリオに扮して会場に登場したりと、すでに日本を代表する文化のひとつになっています。 テレビであのシーンを見て、ゲームを作る自分たちの仕事は、肩書きはなんであれ、「誇っていいんだな」と改めて思いましたね。

編集・執筆:ローリング内沢、杉山翔太郎

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