第一研究開発本部・AM R&E研究開発部 サウンドセクション セクションマネージャー 川口博史(Hiro)

仕事は楽しく! 川口博史(Hiro)

代表作

  • 『スペースハリアー』、『アウトラン』
    『アフターバーナー』など
  • サウンドクリエイター

小学生のころはあまり音楽に興味がなく、
通知表は"3"でした

-どのような幼少期を過ごされていましたか?

千葉県銚子市の出身で、住んでいたのは銚子のなかでも繁華街の方です。外では鬼ごっこやかくれんぼ、家ではレゴ・ブロックで遊んでいた記憶があります。
アーケードゲームの初体験は、たしか小学生のころにボーリング場でプレイした、『ポン』(ATARI)だったと思います。また、デパートの屋上では、セガの『GRAND PRIX』や、KASCOの『ミニドライブ』に代表されるようなエレメカ(ブラウン管を使用しないタイプのアーケードゲーム)のレーシングゲームでよく遊んでいました。
ちなみに、初めて遊んだ家庭用ゲーム機は『カラーテレビゲーム15』(任天堂)です。お小遣いとお年玉を貯めて自分で買ったんですよ。"家のテレビに繋げばゲームが遊べる!"というのは当時、非常に斬新だったんですよね。
ただ、両親からは「テレビが壊れる(かもしれない)から繋がないで」と言われていましたけど(笑)。実際、壊れるわけはないんですけど、当時はまだ"家庭用ゲーム機が珍しい"時代だったんです。 また、中学生のころは、ちょうど『スペースインベーダー』(タイトー)が流行っていたのですが目もくれず、代わりにマイコン(現在で言うパソコン)でプログラムを組むのにはまっていました。 当時、兄がマイコン雑誌を購読していまして、そこで知った"Apple II"が欲しかったのですがとてつもなく高くて買えなかったんですね。そんなときにコモドール社から、当時としては破格の69800円で"VIC-1001"というマイコンが発売されまして、これは楽しそうだと思い買ったんです。 それから高校卒業くらいまで、ずっとマイコンでプログラムを組んでゲームとかツールを作っていましたね。最初は、BASIC言語でプログラムを組んでいたんですが、いろいろとゲーム制作を学んでいくうちに処理速度に不満が出てきたので、マシン語を独学で覚えて、ハンドアセンブル(手作業でアセンブル語をマシン語に変換すること)で打ち込んだプログラムをBASICに組み込んでいました。
作ったゲーム(プログラム)は、当時のマイコン雑誌の『PiO(ピオ)』や『I/O(アイオー)』に投稿しまして、3〜4回ほど掲載されました。今となっては、いい思い出です。

-音楽に興味を持ち始めたのはいつですか?

小学生のころはあまり音楽に興味がなくて、むしろ嫌いでした。通知表も(5段階評価で)3でしたし(笑)。
授業以外で音楽に触れたのは中学生のころ。当時フォークソングが流行っていまして、友だちがギターにはまっていたんです。それに影響されて、私もお小遣いを貯めてアコースティックギターを購入しました。
当時流行していた、かぐや姫、さだまさし、イルカなどの曲や、自分で作ったオリジナル曲を演奏していました。とにかく、ギターが上達するのが楽しかったんです。 そして、高校生になるとフュージョンにはまり、友だちとバンドを組んで、カシオペアや松岡直也、高中正義などの曲をカバーして演奏し、文化祭や公民館でのライブイベントにもよく参加していました。エレキギター担当だったのですが、いつの間にかシンセサイザーもいじるようになって、キーボードを担当するようになったんです。
また、そのころ『ニューラリーX』(ナムコ)のBGMがきっかけで、ゲーム音楽(コンピューターでの曲作り)にも興味を持ちまして、マイコンでオリジナルの音楽を作って自作ゲームに組み込んだりもしていましたね。

-楽器の演奏"と"コンピューターでの曲制作"、それぞれのどのような部分に魅力を感じていましたか?

楽器は純粋に自分の技量(演奏テクニック)が上がっていくことがモチベーションのひとつでしたね。そこに面白みを感じていました。
逆に、コンピューターでの作曲は、当時の限られた機材(制約がある音数やメモリ容量など)のなかで、工夫に工夫を重ねて、いかに自分のやりたいことを表現するかが楽しかったですね。

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