Creator’s Interview

慣れてくると、プログラムの数値が
音符に見えてくるんです(笑)

-当時(学生時代)の将来の夢は?

親が大工だったこともあり小学生低学年のころは大工さんになりたいと思っていました。高学年に上がるころは料理人、また中学生になると、聖悠紀の『超人ロック』や松本零士作品などにはまりまして、漫画家になりたいと思っていました。
いま思うと、昔から何かを生み出す仕事……つまりクリエイティブな職種に就きたいという気持ちが強かったみたいです。
高校卒業間近、まだ具体的な進路は決まっていなかったのですが、当時、私のなかでは"大学はお金を払って遊びに行く場所"というイメージがありまして、就職を選びました。就職すればお金を貰いつつ遊べますから(笑)。

-なぜセガを選んだのですか?

高校の就職活動で、研究所や機械開発関係の職を探していたのですが、そこでセガの求人を見つけたんです。ちなみに当時は、セガという会社のことはあまり知らなかったのですが(笑)、マイコンで自作ゲームや楽曲を作っていましたし、「それが活かせるなら」と思って就職試験を受けました。

-入社当初はどのようなお仕事を担当されたのですか?

セガに入ってからの初仕事は、SG-1000用のアクションゲーム『ガールズガーデン』のプログラム担当です。
採用面接では「ゲームの音楽を作る仕事をしたい」と伝えたのですが、なぜかプログラマーとして採用されました(笑)。おそらく、面接時に"マイコンでゲームを作っていた話"を熱く語ったからだと思います(笑)。

-その後、ゲーム音楽の制作を手掛けることになったきっかけは?

当時、『ハングオン』のプログラマーを担当していた鈴木裕さんから声をかけられたのがきっかけです。『ハングオン』ではいままでのゲームにはないバンド音楽のような曲を使いたい」とおっしゃっていて、学生時代にバンド活動をしていた私に白羽の矢が立ったんです。
そのような経緯で、『ハングオン』のメインテーマ曲を作りました。ちなみに、『ハングオン』では作曲のみを担当し、打ち込み(プログラム化)は他のスタッフが担当しました。
その後、当時の上司に「音楽だけを担当したい」と直訴しまして、『ファンタジーゾーン』以降、現在のようにサウンド担当となったんです。

-当時のゲーム音楽の制作工程を教えてください。

そのころはセガの寮に住んでいたのですが、同期の林克洋(※1)がシンセサイザーを持っていまして、それで演奏したものをカセットテープに録音して、鈴木裕さんに聞いてもらっていました。
オーケーがもらえたら、曲を譜面化して、さらにそれをデータ化(数値化)します。データ化してもすぐに音が鳴るというわけではなく、アセンブルしてコンピューターに送ると初めて音が流れるんです。ですから、「曲を修正したい」と思ったら、譜面をいじってデータ化にするところから再スタートとなります。
まだシーケンサーがない(発売はされていたがとても高価な)時代です。当時のゲーム音楽制作は、いまと比べてとても大変だったんですよね。
まあ、最初は苦労しましたけど、作業に慣れるとプログラムの数値(データ)が音符に見えてくるんですよ(笑)。曲をループ再生しながら、修正したい箇所があれば、すぐにその場で数値を直すという作業の繰り返しでしたね。
(※1)林克洋……ファンキーK.H.名義でも活動している作曲家。元セガの社員で『カルテット』や『ゲイングランド』などの楽曲を担当。

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