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小田 隆志【前編】 小田 隆志【前編】

CREATOR’S
INTERVIEW #021

小田 隆志

ページ

代表作:『ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド』シリーズ ディレクター

トップスペシャルコンテンツCREATOR`S INTERVIEW #021

ページ1/2

  • CHAPTER 1
  • CHAPTER 2
  • CHAPTER 3

CHAPTER 1

モデルガンやエアガンなどにはまったく関心がなかった

-小田さんの幼少期について教えてください

1967年生まれ、福岡の出身です。ゲームとの出会いは、小学5~6年生のころ。

近所の駄菓子屋に、『サーカス』(1977年/エキシディ)や『スペースインベーダー』(1978年/タイトー)などが置いてあって、よくそれらで遊んでいました。

さらに中学生になるとゲームセンターに通うようになり、『ギャラクシアン』(1979年/ナムコ)や『パックマン』(1980年/ナムコ)など、当時のほとんどの作品は遊んでいたと思います。

-ゲーム以外にはどのような遊びを?

野球やサッカーもよく遊んでいました。なお、中学、高校時代はずっとバスケットボール部でしたので、わりと体育会系だったと思います。

とはいえやっぱりゲームも好きで、部活が終わってから駄菓子屋のおばちゃんにお願いして、夜にこっそりお店を開けてもらうんです。真っ暗な駄菓子屋でよく親友と一緒にゲームを遊びましたね。

ちなみに、いまはこうして『ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド』シリーズの制作者としてガンシューティングを手掛けていますが、当時はモデルガンやエアガンなどにはまったく関心がなかったです(笑)。いまもそんなに詳しくはないのですが……(笑)。

『2度あることはサンドア~ル』製品ロゴとゲーム画面

-ゲーム業界を目指そうと思ったきっかけは?

そもそもは建築やインテリア関連の仕事に就きたいと思っていまして、美術大学に進みました。

大学4年生のときに就職浪人になりまして、そのときに(先に卒業して)セガに入社した友人から、「お偉いさんたちがずっとゲームの議論をしている」という話を聞きまして、当時、大きな衝撃を受けたんです、「そんな面白い会社があるのか!」と。

そこで、セガを受けてみようと思ったんです。

-セガ入社後、初めて手掛けられた作品は?

1992年に入社し、『アストロノミコン』(※)というテーマパーク用の占星術アトラクションを手掛けました。これは、いわゆるビデオゲームではなく、自身の名前や誕生日などを入力した記憶媒体を持って、映像を見たり心理テストに答えたりしながら施設内を歩いて回るウォークスルータイプのアトラクションです。

(※)のちにジョイポリスに設置された『フォーチュンミュージアム』や『フォーチューンフォレスト』の原型となるアトラクション。

図面設計から小型模型を作ってのプレゼンテーション、お客さまの動線に至るまで、すべての企画をほぼひとりで担当しました。

なお、『アストロノミコン』がオープンしてからほぼ1ヵ月は、ずっとアトラクションのバックヤードに入っていたんですけど、なぜか会社に報告をするのを忘れていて、「小田はどこで何をしているんだ!」と社内で大騒ぎになったのも、いまとなってはいい思い出です(笑)。

その後は、アーケードゲームを制作する部署に帰ってきまして、そこで『2度あることはサンドア~ル』(1995年)のディレクションを任され、さらにその後、初代『ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド』(1997年)の開発を手掛けることになります。

※文中のゲームメーカー名は当時のものです。

CHAPTER 2

「ゾンビが近づいてきたらゲームにならない」と言われた

初代『ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド』筐体画像

-初代『ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド』の開発経緯は?

当時、AM2研が手掛けた『バーチャコップ』(1994年)がヒットしたこともあり、「AM1研でもガンシューティングを作ろう」という話になったんです。

そこで、同じガンシューティングでも差別化を図るために、「ホラーテイストにする」というところまでは決まっていました。

当時の上司は、館に入ったら飾ってある絵画が飛んできたり壺がガタガタ揺れたりといった、お化け屋敷系のゲームを想定していたようなのですが、そのときはすでに3DCGの時代に入っていましたし、「そんな子ども騙しみたいなことでは面白くない! もっとリアルなものにしないと!」と上司を説得し、現在のようなゾンビ(クリーチャー)を題材にした企画に決まったんです。

-小田さんのなかでは、最初からゾンビを題材にするというイメージはあったのですか?

「死んだ人間が生き返って襲ってくる」というのを”リアル”と言うのも変ですけど、そのほうがお化けよりも現実味がありそうだと感じたんです。

ゾンビ映画も人並みに観ていましたし、たぶん世代的にも、ゾンビというものに抵抗がなかったんだと思います。

とはいえ、当時、リアルに作り込んだゾンビもののゲームが世の中になかったこともあり、社内からはすごく反対されました。ちなみに、『バイオハザード』(1996年/カプコン)もまだ出ていないころの話です。

初代『ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド』ゲーム画面

-開発を進めるうえで苦労したことは?

いろいろありますが、ひとつに「ゾンビが近づいてきたらゲームにならない」と言われたことでしょうか。

当時のガンシューティングは、遠く離れた場所にある、狙いにくい的を撃つのが醍醐味だったのに対し、的であるゾンビが近づいてきたら弾を外すわけがない、と。上司からは、「ゾンビに銃を持たせろ」なんてことも言われました(笑)。

そこは体力の概念を導入したり、撃った部位によってダメージの違いをつけたり、狙いにくい動きをさせたりして、ゲーム性を成り立たせていったんです。

-初代『ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド』が完成したときのユーザーの反響は?

ロケテストでは、すごく反応がよかったですね。

ただ、当初の筐体は、エアーコンプレッサーを使って銃をブローバックさせていたんですけど、プレイ人数が多かったこともあって、銃がどんどん壊れてしまって(笑)。

会社から、ありったけの予備の銃を持ってきてスタッフが現場で一生懸命修理するという、いまでは考えられない状況でした。

結局、ブローバックシステムは製品版には実装されず、ロケテスト時のみの機能となりました(笑)。

そのようなトラブルもありましたが、お客さまがずっと途切れず並んで遊んでくれて、「自分は間違っていなかったんだな」というのを実感しました。

それまでいろいろ反対していた上司からも、あまりうるさく言われなくなりましたね(笑)。

CHAPTER 3

幻の『ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド5(仮)』が存在した!?

お蔵入りとなった『ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド5(仮)』の資料

-最新作『ハウス・オブ・ザ・デッド ~スカーレットドーン~』(2018年)の開発経緯について教えてください

『ハウス・オブ・ザ・デッド ~スカーレットドーン~』(以下、『HODスカーレットドーン』)は、『ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド4』(2005年)から13年ぶりのナンバリングタイトル(正統続編)となります。

……公に語るのはこれが初めてになりますが、じつは『HODスカーレットドーン』を開発する以前、2012年ごろに『ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド5(仮)』の制作を進めていたんです。登場するゾンビはもちろん、ストーリーの導入部分も完成していました。

従来シリーズと同じスタンダード筐体にギミックをつけるといった内容で企画を進めていたのですが、やりたいと思っていたことを実現するとなると、筐体の技術面だけでなくてコスト面でも追いつかないところがあったりして、試行錯誤の結果、お蔵入りとなってしまいました。

なお、『HODスカーレットドーン』は、ナンバリングタイトルとしては5作目(幻の『5』を入れれば6作目)に当たりますが、新規のお客さまにも遊んでいただきたいという理由で、今作は数字ではなくサブタイトルを付けています。また、筐体も多くのお客様に人気のあるシアター型にしました。

-シアター筐体のどのような部分が人気のポイントなのでしょうか。

“座って遊べる”、”他人の目が気にならない”、大きくはこのふたつだと思います。

ちなみに、『HODスカーレットドーン』では、シアター筐体の特性を活かし、音響を良くしたり、空気砲から風を出したりと、ゲームの臨場感を強化させています。

また当初は、シアター筐体の壁を叩く装置を作ろうとしていました。たとえばアパートで隣の部屋から、いきなり壁を叩かれたら怖いじゃないですか。

それと同じ感覚で、プレイ中に筐体を叩かれて、その方向からゾンビが出てきたら面白いんじゃないかと。

しかし、いろいろと実験をしてみたら、実際に壁を叩かなくてもスピーカー(音)を使えば同じような効果が得られることがわかり、今回はスピーカーで代用することにしました。

ちなみに銃にもスピーカーを仕込んでいまして、ひとつの筐体だけでトータル12チャンネルも使用しているんです。アーケードゲーム筐体で12チャンネルを使ったものは、他にはなかなかないと思います。

編集・執筆:ローリング内沢、村田征二朗

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