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大崎 誠【前編】 大崎 誠【前編】

ゲーム屋
インタビュー #006

大崎 誠

ページ

代表作:『艦これアーケード』『初音ミク Project DIVA Arcade』シリーズ(プロデューサー)

トップスペシャルコンテンツゲーム屋インタビュー #006

ページ1/2

  • CHAPTER 1
  • CHAPTER 2
  • CHAPTER 3

CHAPTER 1

ゲームの仕事に携わろうと思ったのも、
大学進学を決意したのも『ゼビウス』がきっかけ

-どのような幼少期を過ごされていましたか?

1970年生まれで、福井県・敦賀市の出身です。10歳のときに親の転勤で引っ越しをしまして、大学に入るまでは山口県の岩国市に住んでいました。”スーパーカー消しゴム”などで遊んでいた、いたってふつうの小学生です。小学4年生のとき、地域のソフトボールチームに参加していましたが、自らの意志で入団したというよりは、周りが当然のようにやっていたので「参加しない」という選択肢がなくて(笑)。その流れで、中学校では野球部に入部しました。
一方、時代的には、ちょうどパソコンブームが隆盛だったころで、NECからはPC-6001やPC-8001、シャープからはMZー1200などが発売され、どうしても欲しかったので親に頼み込んだんです。すると、「テストの成績が学年で10位以内になったら買ってもいい」と。そこから猛勉強を始めました。もともと成績は良くなかったんですが、努力の甲斐あって、半年後に10位以内を達成し念願のMZ-1200を買ってもらいました。物欲のちからってすごいですよね(笑)。
このときに”勉強の仕方”を覚えまして、高校は進学校に進み、大学へ行くこともできました。私にとって”勉強”は、一種の”ゲーム感覚”に近かったんだと思います(笑)。

-初めてのゲーム体験は?

小学生のときにプレイした『スペースインベーダー』です。当時は”インベーダーハウス”と呼ばれるゲームセンターが全国各地に点在していたのですが、そこでの体験が初めてでした。
ほかにも、『クレイジーコング』(『ドンキーコング』のクローン版)や『ラリーX』などで遊んだ記憶もあります。 また、携帯型液晶ゲーム機の”ゲーム&ウオッチ”を親に買ってもらいまして、私は『ファイア』を、弟たちは『ジャッジ』と『バーミン』を持っていて、それをよくプレイしていました。
そしてもちろん、”ファミコン”ブームの洗礼も受けました。『ゼビウス』がとにかく大好きで、ファミコンで発売されると聞けば買うしかありませんでした。ほかにも『ロードランナー』、『チャンピオンシップロードランナー』、『テニス』、『バルーンファイト』などが好きでしたね。
ディスクシステムでは、『ゼルダの伝説』、『バレーボール』などを遊びました。
そして、さきほどお話した、猛勉強して買ってもらったMZ-1200では、『マイコンBASICマガジン』(※電波新聞社発行・現在休刊)に掲載されていたプログラムを打ち込んで、さまざまなゲームを楽しみました。
……ありがたいことに我が家は”学校の成績が良ければ何も文句を言わない家庭”でしたので、たくさんのゲームを遊ぶことができました。もちろん、そのぶん勉強も部活もがんばりましたけど。

CHAPTER 2

当時のセガは"責任のあるサークル"
のようでしたね

ーゲーム業界を目指すことになったきっかけは?

『ゼビウス』を初めてプレイしたときに受けた衝撃と感動がきっかけで、中学1年生のときに「将来はゲームの仕事に携わりたい」と思うようになったんです。ちなみに、当時のハイスコアを、現在使用しているキャッシュカードの暗証番号にするほど『ゼビウス』が好きなんですよ。いまここで、そのスコアは言えないんですけど(笑)。
じつは大学進学を決意したのも『ゼビウス』がきっかけなんです。
当時、『朝日ジャーナル』に筑紫哲也さんが連載していた”新人類の旗手たち”という対談企画に、『ゼビウス』のゲームデザイナー・遠藤雅伸さんが登場していて、そこで遠藤さんが千葉大学を卒業されていることを知り、「大学を出たほうがゲーム開発者を目指しやすいんだ!」と思い、大学進学を決意したんです。
対談記事を読み、どのような経歴の方が、どういう考えでゲームを作ったのか、を知ることができたのは今振り返ると貴重でしたね。
「将来ゲームの仕事に携わりたい」というぼんやりした夢が、具体的な目標となり道筋となったので。『ゼビウス』のおかげですね(笑)。

-セガに入社した経緯は?

大学時代は、ナムコ(現・バンダイナムコエンターテインメント)直営の”プレイシティキャロット”というゲームセンターでアルバイトをしていました(※現在、アルバイトしていた店舗は閉鎖)。そこで『アウトラン』、『アフターバーナー』、『パワードリフト』など、セガのアーケードゲームにハマり、それがきっかけでセガの入社試験を受けてみようと思ったんです。
ちなみに、当時のセガのアーケードゲーム(体感ゲーム)で私が”面白い”と感じたのは、”ごっこ遊び”の部分、そしてそれをサポートする”リアリティ”の高さです。私にとっては、『アウトラン』はスポーツカーでドライブする”ごっこ”で、また『アフターバーナー』はトム・クルーズ”ごっこ”(『トップガン』ごっこ)でした。あたかもドライブしているような、アクションしているような気持ちになれる、ゲームの”リアリティ”の高さにワクワクしましたね。
またさらに、セガのゲームの魅力のひとつには、”ダイナミック”さがあります。たとえば『アウトラン』や『パワードリフト』の迫力のあるダウンヒル表現、『アフターバーナー』の猛烈な勢いで流れていくフィールドなど、破壊力さえも感じますよね。
そして、そんなセガ(当時はセガ・エンタープライゼス)に入社したのは1993年。希望していた第二AM研究開発(通称”AM2研”、現:セガ・インタラクティブ 第二研究開発本部)に配属されて、現在に至ります。当時のゲーム雑誌で『アフターバーナー』が”AM2研”で作られていることを知り、自分も開発に携わりたいと思っていたので、”AM2研”に配属が決まった瞬間は思わずガッツポーズしましたね。

-当時のセガの雰囲気はどうでしたか?

イケイケでした(笑)。30代だった鈴木裕さんが役員を務められていて、フェラーリに乗っていましたから。すごいなあって。その当時のセガは、会社というよりは”責任のあるサークル”という印象でした。当時は、大手一般企業への推薦が多かった時代にも関わらず、あえてゲーム業界への就職を選んだ、ちょっと異色の人たち(?)が多かったんですよ。まあ、私もそのひとりですけど(笑)。

CHAPTER 3

"ゲームクリエイター"と呼ばれるのが苦手なんです。

-セガに入社して、初めて携わったタイトルは?

初めてゲーム作りに携わったのは『デイトナUSA』(1993年)です。入社後に弊社の名越稔洋との面談がありまして、そこでレースゲームへの情熱を伝えたところ、そのままアーケードの『デイトナUSA』チームに配属されました。
初めて担当した仕事は、アミューズメントマシンショー(通称:JAMMAショー)出展用デモ映像の制作です。当時は映像を視覚的に操作できるようなCGツールはなく、いちからプログラムを組んで制作していたので、かなり手間がかかる作業でした。
チームがそれほど大きくなかったこともありますが、「入社したての私にこんな大役を!」と思いながらも必死で作りましたね。

-入社まえと入社後で、”ゲームを作る仕事”に対するイメージは変わりましたか?

私の時代は、いまほどゲーム作りやゲーム開発者に関する情報(インタビュー記事など)がありませんでしたので、イメージそのものを持てませんでした。しいて言えば、ゲーム(遊び)と言えど会社の仕事ですし「お堅いのかな」と思ってましたが、結論から言うとまったく違ってました。
入社してみると、若い人たちも多くとても自由な雰囲気で、それぞれが”自分の信じる面白いこと”を表現するためにがんばっている職場でした。まさかここまで自由だったとは、体育会系の私には意外でしたね。入社時から時は流れ、ゲーム業界全体が産業化していることもあり、昨今は仕事を進めるにあたり不可欠な”お堅い”案件を手掛ける必要もありますが、それでも”モノ作り”の自由な雰囲気は健在だと思います。

-大崎さんは”ゲームクリエイター”ではなく、”ゲーム屋”を自称されていますがそれはなぜですか?

私は”ゲームクリエイター”と呼ばれるのが苦手でして、自分では”ゲーム屋”と名乗っています。横文字にするのが苦手なんですよね。
ちなみに英語で”the Creator”と書くと日本語だと”創造神”や”創世神”という意味になるのですが、どうも私には大それている気がしてですね……。
私自身は、とにかく”楽しいゲームを作る職人”でありたいという想いから”ゲーム屋”と名乗っています。なお、ゲームは、もうすでにスミソニアン博物館の所蔵品に入っていたり、先日のリオオリンピック閉会式では安倍晋三首相がマリオに扮して会場に登場したりと、すでに日本を代表する文化のひとつになっています。
テレビであのシーンを見て、ゲームを作る自分たちの仕事は、肩書きはなんであれ、「誇っていいんだな」と改めて思いましたね。

編集・執筆:ローリング内沢、杉山翔太郎

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