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川口 博史(Hiro)【前編】 川口 博史(Hiro)【前編】

CREATOR’S
INTERVIEW #007

川口 博史(Hiro)

ページ

代表作:『スペースハリアー』『アウトラン』『アフターバーナー』他(サウンドクリエイター)

トップスペシャルコンテンツCREATOR`S INTERVIEW #007

ページ1/2

  • CHAPTER 1
  • CHAPTER 2
  • CHAPTER 3

CHAPTER 1

小学生のころはあまり音楽に興味がなく、
通知表は"3"でした

-どのような幼少期を過ごされていましたか?

千葉県銚子市の出身で、住んでいたのは銚子のなかでも繁華街の方です。外では鬼ごっこやかくれんぼ、家ではレゴ・ブロックで遊んでいた記憶があります。
アーケードゲームの初体験は、たしか小学生のころにボーリング場でプレイした、『ポン』(ATARI)だったと思います。
また、デパートの屋上では、セガの『GRAND PRIX』や、KASCOの『ミニドライブ』に代表されるようなエレメカ(ブラウン管を使用しないタイプのアーケードゲーム)のレーシングゲームでよく遊んでいました。
ちなみに、初めて遊んだ家庭用ゲーム機は『カラーテレビゲーム15』(任天堂)です。お小遣いとお年玉を貯めて自分で買ったんですよ。”家のテレビに繋げばゲームが遊べる!”というのは当時、非常に斬新だったんですよね。
ただ、両親からは「テレビが壊れる(かもしれない)から繋がないで」と言われていましたけど(笑)。実際、壊れるわけはないんですけど、当時はまだ”家庭用ゲーム機が珍しい”時代だったんです。
また、中学生のころは、ちょうど『スペースインベーダー』(タイトー)が流行っていたのですが目もくれず、代わりにマイコン(現在で言うパソコン)でプログラムを組むのにはまっていました。 当時、兄がマイコン雑誌を購読していまして、そこで知った”Apple II”が欲しかったのですがとてつもなく高くて買えなかったんですね。そんなときにコモドール社から、当時としては破格の69800円で”VIC-1001″というマイコンが発売されまして、これは楽しそうだと思い買ったんです。
それから高校卒業くらいまで、ずっとマイコンでプログラムを組んでゲームとかツールを作っていましたね。最初は、BASIC言語でプログラムを組んでいたんですが、いろいろとゲーム制作を学んでいくうちに処理速度に不満が出てきたので、マシン語を独学で覚えて、ハンドアセンブル(手作業でアセンブル語をマシン語に変換すること)で打ち込んだプログラムをBASICに組み込んでいました。
作ったゲーム(プログラム)は、当時のマイコン雑誌の『PiO(ピオ)』や『I/O(アイオー)』に投稿しまして、3〜4回ほど掲載されました。今となっては、いい思い出です。

-音楽に興味を持ち始めたのはいつですか?

小学生のころはあまり音楽に興味がなくて、むしろ嫌いでした。通知表も(5段階評価で)3でしたし(笑)。
授業以外で音楽に触れたのは中学生のころ。当時フォークソングが流行っていまして、友だちがギターにはまっていたんです。それに影響されて、私もお小遣いを貯めてアコースティックギターを購入しました。
当時流行していた、かぐや姫、さだまさし、イルカなどの曲や、自分で作ったオリジナル曲を演奏していました。とにかく、ギターが上達するのが楽しかったんです。 そして、高校生になるとフュージョンにはまり、友だちとバンドを組んで、カシオペアや松岡直也、高中正義などの曲をカバーして演奏し、文化祭や公民館でのライブイベントにもよく参加していました。エレキギター担当だったのですが、いつの間にかシンセサイザーもいじるようになって、キーボードを担当するようになったんです。
また、そのころ『ニューラリーX』(ナムコ)のBGMがきっかけで、ゲーム音楽(コンピューターでの曲作り)にも興味を持ちまして、マイコンでオリジナルの音楽を作って自作ゲームに組み込んだりもしていましたね。

-楽器の演奏”と”コンピューターでの曲制作”、それぞれのどのような部分に魅力を感じていましたか?

楽器は純粋に自分の技量(演奏テクニック)が上がっていくことがモチベーションのひとつでしたね。そこに面白みを感じていました。
逆に、コンピューターでの作曲は、当時の限られた機材(制約がある音数やメモリ容量など)のなかで、工夫に工夫を重ねて、いかに自分のやりたいことを表現するかが楽しかったですね。

CHAPTER 2

慣れてくると、プログラムの数値が
音符に見えてくるんです(笑)

-当時(学生時代)の将来の夢は?

親が大工だったこともあり小学生低学年のころは大工さんになりたいと思っていました。高学年に上がるころは料理人、また中学生になると、聖悠紀の『超人ロック』や松本零士作品などにはまりまして、漫画家になりたいと思っていました。
いま思うと、昔から何かを生み出す仕事……つまりクリエイティブな職種に就きたいという気持ちが強かったみたいです。
高校卒業間近、まだ具体的な進路は決まっていなかったのですが、当時、私のなかでは”大学はお金を払って遊びに行く場所”というイメージがありまして、就職を選びました。就職すればお金を貰いつつ遊べますから(笑)。

-なぜセガを選んだのですか?

高校の就職活動で、研究所や機械開発関係の職を探していたのですが、そこでセガの求人を見つけたんです。ちなみに当時は、セガという会社のことはあまり知らなかったのですが(笑)、マイコンで自作ゲームや楽曲を作っていましたし、「それが活かせるなら」と思って就職試験を受けました。

-入社当初はどのようなお仕事を担当されたのですか?

セガに入ってからの初仕事は、SG-1000用のアクションゲーム『ガールズガーデン』のプログラム担当です。
採用面接では「ゲームの音楽を作る仕事をしたい」と伝えたのですが、なぜかプログラマーとして採用されました(笑)。おそらく、面接時に”マイコンでゲームを作っていた話”を熱く語ったからだと思います(笑)。

-その後、ゲーム音楽の制作を手掛けることになったきっかけは?

当時、『ハングオン』のプログラマーを担当していた鈴木裕さんから声をかけられたのがきっかけです。『ハングオン』ではいままでのゲームにはないバンド音楽のような曲を使いたい」とおっしゃっていて、学生時代にバンド活動をしていた私に白羽の矢が立ったんです。
そのような経緯で、『ハングオン』のメインテーマ曲を作りました。ちなみに、『ハングオン』では作曲のみを担当し、打ち込み(プログラム化)は他のスタッフが担当しました。
その後、当時の上司に「音楽だけを担当したい」と直訴しまして、『ファンタジーゾーン』以降、現在のようにサウンド担当となったんです。

-当時のゲーム音楽の制作工程を教えてください。

そのころはセガの寮に住んでいたのですが、同期の林克洋(※1)がシンセサイザーを持っていまして、それで演奏したものをカセットテープに録音して、鈴木裕さんに聞いてもらっていました。
オーケーがもらえたら、曲を譜面化して、さらにそれをデータ化(数値化)します。データ化してもすぐに音が鳴るというわけではなく、アセンブルしてコンピューターに送ると初めて音が流れるんです。ですから、「曲を修正したい」と思ったら、譜面をいじってデータ化にするところから再スタートとなります。
まだシーケンサーがない(発売はされていたがとても高価な)時代です。当時のゲーム音楽制作は、いまと比べてとても大変だったんですよね。
まあ、最初は苦労しましたけど、作業に慣れるとプログラムの数値(データ)が音符に見えてくるんですよ(笑)。曲をループ再生しながら、修正したい箇所があれば、すぐにその場で数値を直すという作業の繰り返しでしたね。

(※1)林克洋……ファンキーK.H.名義でも活動している作曲家。元セガの社員で『カルテット』や『ゲイングランド』などの楽曲を担当。

CHAPTER 3

音楽制作の発想力や表現方法は
レゴ・ブロックから学びました

-プライベートでの趣味は?

やはり音楽ですね。昨今は、とものかつみ(※1)、景山将太(※2)とともに、H.K.S(ハイパー・カッコイイ・システム)という即興作曲&演奏ユニットを組んで活動しています。
ライブ会場のお客さまから、その場で「デートに彼女が来なくて悲しかったとき」、「雨音を聴いてしっとりとした気分のとき」というような、さまざまなテーマをいただきまして、そのテーマに沿って即興で作曲して演奏する、というイベントを行っているんです。
また最近、面白いと思っている音楽ジャンルでいえば、EDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)。それと気になっているアーティストは、女子高生シンガーソングライターの”にゃんぞぬデシ”さんです。彼女は個性的で表現力があり、ひと目見てファンになりました。ほかにも、アーケードゲーム『テトリス・デカリス』で”チームDEKARIS”というアイドルグループの作曲を担当したことがきっかけで、さまざまなアイドルの曲も聞くようになりました。

(※1)とものかつみ……『らき☆すた』などのアニメソングを手掛ける作曲家。
(※2)景山将太……『ポケットモンスター ブラック・ホワイト』などのゲームミュージックを手掛ける作曲家。

なお、音楽以外ですと、レゴ・ブロックが好きです。自身で”CLUB LEGO”というホームページを立ち上げて、オリジナル作品などを発表しています。
何もないところからパーツを積み上げて作品を生み出す、という点では、音楽制作とレゴ・ブロックの方向性は同じなんですよね。そのような意味では、レゴ・ブロックからいろいろと学びました。 以前、自分のネット掲示板に投稿してくれた小学生のレゴ作品を見て、自分にはできない発想力や表現方法にすごく刺激を受けたんです。以来、相手の年齢や立場などは関係なく、良いと思ったものは素直に受け入れる姿勢が身に付きましたね。

編集・執筆:ローリング内沢、杉山翔太郎

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