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吉野 慎一【前編】 吉野 慎一【前編】

CREATOR’S
INTERVIEW #012

吉野 慎一

ページ

代表作:『ネットワーク対戦麻雀 MJ』シリーズ(プロデューサー)

トップスペシャルコンテンツCREATOR`S INTERVIEW #012

ページ1/2

  • CHAPTER 1
  • CHAPTER 2
  • CHAPTER 3

CHAPTER 1

セガとの初めて出会いは、
縁日のくじ引きでした(笑)

-吉野さんの生い立ちについて教えてください。

1973年、茨城県・大洗町で生まれました。生まれてすぐに東京の日野市に引っ越しましたので、小学校、中学校、高校と、育ちはずっと東京です。
日野市は自然が多い場所ですから、幼少期は川で釣りをしたり、山に秘密基地を作ったりして遊んでいました。
小学生のころは少年野球に力を入れていまして、当時は、「将来、野球選手になりたい」と思っていたのですが、小学6年生のときに、近所の国分寺市に引っ越すことになり、転校先の小学校では野球よりもサッカーのほうが盛んだったこともありまして、すぐにサッカーに鞍替えしてしまったんです。まあ、単純に女の子にモテたかったという理由が大きいんですけど(笑)。
また当時は、ゲームにも熱中しまして、近所にあったゲームセンターや駄菓子屋で、よく『ギャラクシアン』(1979年/ナムコ)』、『平安京エイリアン』(1979年/電気音響)』、『パックマン』(1980年/ナムコ)』、『ドンキーコング』(1981年/任天堂)などを遊びました。
そして、家では両親に買ってもらった、”ゲーム&ウォッチ”(1980年/任天堂)や、”クレイジークライミング”(1981年/バンダイ)、”ゲームロボット九”(1981年/タカトクトイス)といった電子ゲームを楽しんでいましたね。
そんな流れのなか、「パソコンを操作する雰囲気が格好いいな」と思いまして(笑)、ファミリーコンピュータ(1983年/任天堂)のブームには乗らず、MSX(※1)にハマりました。そこでベーシックを学び、初めてプログラムというものに触れたんです。
パソコンへの興味がより強くなり、高校受験合格のお祝いとして親にNECのパソコンPC-8801を買ってもらいました。シミュレーションやアクションなど、さまざまなゲームで遊びましたね。

(※1):1983年にマイクロソフトとアスキーによって提唱されたパソコンの共通規格。複数のメーカーからMSXの仕様に沿って作られたパソコンが発売された。

-セガに入社することになった経緯は?

セガとの初めての出会いは、中学生のときに遊びに行った縁日でのこと。
ヒモを引くタイプのくじ引き(屋台)がありまして、その数ある景品のなかに、セガ・マークIIIがあったんです。「もしかしたら、これは取れるんじゃないか?」と思い、くじを引いてみたら…驚くことに見事当たったんですよ!(笑)
ゲーム機の景品って、射的やくじでは絶対当たらないものだと思っていたのでかなり衝撃でした(ホントに当たることもあるんだ…と)。 当時はセガのことをまったく知らなかったのですが、手に入れたセガ・マークIIIで、『ファンタジーゾーン』(1986年)や『北斗の拳』(1986年)を遊んでみたら、すごく面白くて!そこから、セガという会社に興味を持ち始めました。
大学では、ホログラフィや立体映像の研究に傾倒しました。
光学系の研究室でしたので、将来的にはカメラメーカーなどへの就職、という選択肢もありましたが、セガがホログラムを意識した『ホログラム・タイムトラベラー』(1991年)や『ホロシアム』(1992年)といったゲームを出していることを知り、「セガはこんなチャレンジもしているのか。面白そうな会社だな」と思ったんです。就職活動ではマスコミや商社など、さまざまな会社を受けましたが、最終的には「面白いこと」を求めてセガに決めました。マークⅢが当たってなかったら、違う人生になっていたかもしれませんね(笑)

-セガへの入社後はどのような業務を?

最初に携わったのはドリームキャストの『シェンムー』(1999年)です。履歴書に「中国の歴史が好き」と書いたのですが、「だったら『シェンムー』がいいんじゃない?」といった流れで(笑)、そのままプランナーとして携わることになりました。
『シェンムー』では、新人ながらに積極的に参加しまして、上司にその仕事ぶりを認めていただき、『シェンムー2』(2001年)ではゲームディレクターという肩書で携わりました。
その後は、『ザ キング オブ ルート66』(2002年)という、大型トラックでアメリカ大陸を横断するゲームのプロデューサーを務めました。、超大型ハンドルと無線マイクが設置され、「ニトロ!」と叫ぶとトラックがド派手に超加速するんです。音声認識デバイスの動作チェックのため、夜な夜な「中トロ!」とか「ネギトロ!」とか叫んでいました(笑)。
さらに同作にオリジナル要素を入れて家庭用ソフト(PS2・北米のみ発売)としてリリースしました。販売は北米でデバッグがインドだったので、現地との時差対応が難しかった反面、早くからグローバルな仕事に携われて良い経験になりました。
その後、『セガネットワークカジノクラブ』(メダル)、『MJモバイル』(スマホ/PC)を立ち上げ、現在MJシリーズプロデューサーを務めています。

※メーカー名はすべて当時のものです。

CHAPTER 2

麻雀の魅力のひとつは
"運と技術力"の絶妙なバランス感

-『セガネットワーク対戦麻雀MJ』シリーズの開発に携わることになったきっかけは?

『セガネットワーク対戦麻雀MJ』(以下、『MJ』)シリーズの初代にあたる、『セガ四人打ち麻雀MJ』(2002年)の開発がスタートしたのは、さきほどお話した『ザ キング オブ ルート66』の家庭用ゲーム機版の開発と同時期でしたので、初代『MJ』の立ち上げには参加していないんです。
その後、全国で対戦ができる『セガ四人打ち麻雀MJ ネットワーク対戦Ver.』がリリースされまして、ちょうどその時期に『MJ』開発チームに途中加入しました。ですので、立ち上げからがっちりと開発に関わったのは、『セガネットワーク対戦麻雀MJ2』(2004年)からになります。むかしから麻雀が大好きでしたので、これは願ったり叶ったりでしたね(笑)。

麻雀に初めて触れたのは中学生のころ。ファミコンの『ファミリーマージャン』(1987年/ナムコ)でルールを覚えました。
そして高校時代には、友だちと教室でよく”カード麻雀”で遊んでいました。ある日、クラスメートに「貸してくれ」と頼まれて、その”カード麻雀”を貸したのですが、タイミング悪く遊んでいるところを先生に見つかってしまい、そのときに遊んでいたクラスメートたちは全員丸坊主にさせられたんですよね(笑)。当の貸した本人(自分)はバレずに済んだのですが…(笑)、あのときは本当に申し訳なかったです。
さらに、大学生になると、麻雀好きが高じて、”雀荘”が授業の待合い場所のようになっていました(笑)。大学が高田馬場の近くだったのですが、高田馬場って学生向けの安い雀荘が多いんですよ。ですから、ほぼ毎日のように入り浸っていましたね(笑)。

-麻雀の魅力とはどのような部分だと思いますか?

“運と技術力”のバランスが絶妙な部分ですね。個人的には7:3の割合で、”運”のほうが強いと思っているのですが、たとえ”運”が悪くても”技術力”でカバーできたりと、その兼ね合いがすごく良いゲームなんです。
それと、これはカジノゲームをはじめ、競馬や競輪、パチンコやパチスロなどの公営競技(ギャンブル)などにも言えることかも知れませんが、スタート地点はどんなプレイヤーでも平等なんですよね。
条件による有利不利はなく、経験や技術を培うことで強くなれますし、手によっては一発逆転も狙えるところも大きな魅力です。

-リアル麻雀にはない、麻雀ゲームだからこその魅力とは?

“いつでもどこでも麻雀が楽しめる”という手軽さだと思います。それに加えて、”人に会わずに遊びたい”というニーズに応えたのが、ネットワーク麻雀が急速に普及した要因だと思っています。
「実際に麻雀を打ちたい」と思った場合、残り3人の仲間を集めるか、ひとりで雀荘に行くか、どちらかの選択肢になると思うのですが、どちらも少々手間が掛かりますよね。そういう意味では、「麻雀を遊びたい」と思ったときにすぐプレイできる、というのがネットワーク麻雀の最大の利点だと思います。
とはいえ、実際に顔を突き合わせて遊ぶ麻雀には当然その面白さもあって、会話や表情など、打ちかたに人柄が出るんですよね。
正直者の人もいれば、役作りに夢を追っていく人もいたり(笑)。そこを見るのが楽しいです。また、コミュニケーションが弾むほど、麻雀仲間ならではの信頼感などが生まれたりもしますので、そういう部分はリアル麻雀ならではの魅力ですよね。

※メーカー名はすべて当時のものです。

CHAPTER 3

『MJ』シリーズで
一番こだわっているのは「臨場感」

-リアル麻雀をゲームに落とし込むにあたり、『MJ』シリーズでこだわっている部分は?

いちばん意識しているのは臨場感です。対局中のヒリヒリした感じを極力再現できるように作っています。
たとえば、グラフィック面では牌の質感であったり、牌をツモるときの手の動きであったり、また、捨て牌もキレイに並べるのではなく、ちょっとズラしたりなど……そういったリアルな麻雀で目にするシーンを再現しリアリティーを出すようにしています。
そういった視覚的な演出に加え、「耳から入る情報でも臨場感を出せないだろうか?」と考えて生まれたのが”実況”です。
「実況が入ったことでテンションが上がった」というお客さまからの意見も多いです。また、「もしも自分がテレビの麻雀対局番組に出場したら、どういう風に実況されるんだろう?」という漠然とした興味にも応えられているのかなと思っています。

-その”実況”は、どのように制作されているのでしょうか?

“実況”システムが実装されたのが『MJ2』からなのですが、現在リリースされている『MJ』シリーズも含め、じつは実況ボイスを担当しているのは声優さんではなく…私なんです(笑)。
声を録音するアフレコスタジオでは、「きたきたー! リーチ!」、「出たァー!」などと叫んで声を録音しています。喉の調子を整えながら(笑)。
そもそも自分が麻雀を打ちながらよく喋るタイプだったので、そういう要素喋りが欲しいなと思ったのもきっかけのひとつなんですよね。
もちろん変なセリフだと開発スタッフからボツが出るのですが(笑)、ただ、事実だけを言うセリフでもプレイヤーのテンションが上がったりするんです。
たとえば、「プレイヤー! いいところを引いた!」などと言われれば、麻雀がよくわからない人でも「あ、いい牌を引いたんだ」と理解できますし、盛り上げ要素だけではなく、アシスト機能としても、”実況”が役立っているんですよね。
ちなみに、アーケード版だけではなく、スマートフォン版の『セガNET麻雀 MJ』も”実況”に対応しています。しかし、まだまだ言葉のバリエーションが足らないという意見もいただいておりますので、そこは今後の改善点だと思っています。

-マンガやアニメなど、多方面とのコラボレーションも『MJ』シリーズの特徴ですが、それらはどういったきっかけで始めたのでしょうか?

そもそもは、麻雀・ギャンブル好きな人に喜んでもらえるように、麻雀マンガ専門誌の『近代麻雀』(竹書房)さんや、パチンコ・パチスロを手掛けているサミーさんとのコラボレーションが多かったのですが、いまは、そこからスポーツ新聞、テレビ局、飲食店など、コラボレーション先が広がっています。
さらに、TVアニメ「咲-Saki-」シリーズと長年にわたりコラボレーションさせていただいており、お客さまから大変好評いただいております。ですので、こういったニーズも大切にしていきたいと思っています。
世の中には、「よくわからないけれど、楽しそうだから麻雀を遊んでみたい」と思っている人が大勢いると思うんです。『MJ』シリーズのさまざまなコラボレーションを通じて、そういう方々が麻雀を知るきっかけになれば、とても嬉しいですね。

編集・執筆:ローリング内沢、村田征二朗

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