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平井 徳一【前編】 平井 徳一【前編】

CREATOR’S
INTERVIEW #016

平井 徳一

ページ

代表作:『ソウルリバース ゼロ』(プロデューサー)

トップスペシャルコンテンツCREATOR`S INTERVIEW #016

ページ1/2

  • CHAPTER 1
  • CHAPTER 2
  • CHAPTER 3

CHAPTER 1

あなたがここにいるから作品がある

―平井さんの幼少時について教えてください

はい、横浜で生まれ育ち、小学生のときはサッカーにはまっていました。「将来はサッカー選手になりたい」なんて夢を抱いていましたけど、中学校に入ってから上手い人との差を見せつけられて、その夢は砕け散りました(笑)。

―当時はどんなゲームで遊んでいましたか?

中学生時代は、部活用のスパイクやウェアを買っていたスポーツショップのとなりに、”ペンギン”っていう名前のゲームセンターがあって、よくそこに通っていました。 『テーカン ワールドカップ』(1985年/テーカン)のステージ6くらいに登場するウルグアイに勝てなかったこととか、『ワンダーボーイ モンスターランド』(1987年/セガ)の裏技でコインを大量にゲットしたことなどを覚えてます。めちゃくちゃ遊びこんでいましたね。

―家庭用ゲームよりもゲームセンターで遊ぶことが多かったのですか?

ええ、基本はゲームセンターでしたけど、PCエンジンやスーパーファミコンも遊んでいました。PCエンジンの『R-TYPE』(1988年/ハドソン)や『妖怪道中記』(1988年/ナムコ)はかなりやり込みました。ちなみに、両作品とも友だちに本体ごと借りたんですけど、いつの間にかもらっちゃったことになっていました(笑)。

―借りパクじゃないですか!(笑)

いやいや、きちんと返すつもりはあったんですが…すみません!

―(笑)! 当時、将来は何になりたいと思っていましたか?

当時通っていたのが、中学から大学までエスカレーター方式で進める学校だったんですけど、高校生のときに「そのままエスカレーター方式で大学に進むのは面白くないな」と思ったんです。
そのころ、すごく衝撃を受けたテレビCMがありまして、それを見て広告の仕事ができればと思い、美大を目指すべく高校2年生から予備校に通い始めました。結局、美大に入るまでに3浪したんですけど(笑)。

※ゲームメーカー名は当時のものです。

―その後、美大に入られて、どのような活動を?

当時はインスタレーション(※)をやりたくて、センサーを使って、人が前に立つとフラッシュライトが光ったり音が鳴ったりするような作品を作っていました。
いろんな考え方の人がいると思いますが、僕は絵でも何でも、「人に見てもらってこその作品だ」と考えていて。「見る人がいるから作品が存在する」、つまり「あなたがここにいるから作品がある」というのが大きなテーマでした。それでインスタレーションにはまっていったんです。

―広告の仕事を目指して入った美大ですが、作品づくりを通して、将来のビジョンは変化しましたか?

なにかしらの作品をつくって食べていけたらいいな、と少し変わりましたね。美大時代に抱いたテーマは、いまのゲーム制作への姿勢にも繋がっていると思います。

(※)インスタレーション:室内や屋外など特定の空間にオブジェや装置を配置し、空間全体を作品として体験させる芸術表現。

CHAPTER 2

『シェンムー2』の制作現場から
デザイナーとしての仕事が始まった

-平井さんがセガを受けたきっかけを教えてください

大学3年生ぐらいになると、現実問題として”就職”という選択肢も考えるわけです。そこで、思い切って入社試験を受けてみて合格したら腹をくくって就職しよう、と。
ちょうどそのころ、大学で開催された就職説明会にセガが来ていまして。そこでそのまま適正テストを受けて、志望動機なども伝えたところ、運良く面接試験までこぎ着けたんです。

-面接試験はどのような内容だったか覚えていますか?

自分で言うのも何ですが、冗談ばかり言っているこういう性格ですから、面接官を1回は笑わせて帰ろうと思っていたんですよ(笑)。

-(笑)! それは面接官の印象にも残りますね

僕はタロウちゃんだったので、絵のデッサンは上手かったんですよ。タロウちゃんというのは”多い”に”浪人”で、”多浪”ちゃんなんですけど(笑)。3浪したぶんデザインのスキルは磨いていたので、最終的にはそこを評価してもらったのかもしれません(笑)。

-セガに入社して最初はどのような業務を?

デザイナーとしてセガに入社し、初めて参加したプロジェクトはドリームキャストの『シェンムー2』(2001年)です。プロジェクトメンバーは全部で200人ほど。デザイナーだけで60人ぐらいいて、当時入っていたビルの1フロアを『シェンムー2』チームが使っていたんですよね。
デザインチームはキャラクター、ステージ、モーションのほかにオーサリング、ようはリアルタイムムービーの4チームがありました。

-平井さんはどのチームに配属されたのですか?

僕は背景を担当するステージチームに入りました。ただ、大学で3Dソフトなどはまったく触っていなかったので、右も左も分からずじまいでした。
当時の開発環境はUNIXでしたので、ソフトを起動するのにも、コマンド入力が必要で、教わったことをひたすらメモして覚える日々でした。ほんと当時は、先輩が何を言っているかわからなかったです(笑)。

-『シェンムー2』では具体的にどのような業務を?

背景の制作をはじめ、各所などに置かれるさまざまな小物もつくっていました。また、ゲーム終盤に登場する”七星剣”という剣は僕がつくりましたね。
じつは最初のデザインでは”七星剣”は短刀だったんですけど、なんでか長剣にしちゃって(笑)。念のため先輩からディレクターの(鈴木)裕さんに確認してもらった際、「短刀だって言ったのに~! でも、まぁいいか!」と、出来が良かったからかそのまま採用になったと聞きました(笑)。

-その後、『バーチャコップ3』(2003年)ではリードエフェクトデザイナーを担当されていますが、これは『シェンムー2』での業務実績を見込まれて?

“リード(先導)”と言ってもエフェクトデザイナーはふたりしかいませんでしたけどね(笑)。
またエフェクトと言ってもみなさんが想像されるような火花や煙といったパーティクルではなく、いわゆるダイナミクス的なものです。ガンシューティングは画面にたくさん小物が配置されているじゃないですか。それらを撃って破壊できると面白いよね、ということで、いろいろな壊れかたをする小物を制作したんです。
ちなみに『シェンムー2』でも、小物はどういう風にモデルをつくったらいいのか、ずっと勉強していましたから、そういう部分が評価されてリードエフェクトデザイナーに抜擢されたのかもしれません。

CHAPTER 3

出張から帰ってきたら、
デザイナーからディレクターになることに

-ソーシャルゲームの『クエプラ -Quest of Planet-』(2012年)(以下、『クエプラ』)では、ディレクター兼リードデザイナーを務められましたが、デザイナーからディレクターになったきっかけは?

プロジェクト立ち上げ当初はリードデザイナーとして参加していたんです。途中でディレクターに抜擢されるのですが、そのときのことはいまでも記憶に残ってますね(笑)。
初めてのリードデザイナーということもあり、外部の作家さんとゼロからやりとりすることから始めてみよう、と思って、山形県に住むイラストレーターさんにデザインを依頼しに行ったんです。現地から帰ってきたら、当時のプロデューサーに「ディレクターの〇〇くんがちょっと大変だから替わってくれないか」と言われたんですよ。「え、いま山形から帰ってきたばっかりなんだけど」みたいな感じでしたね(笑)。

現在はサービス終了

-それはいきなりでしたね(笑)

まだ、キャラクターおよびゲームのベース部分しかできていなかったころですね。僕も立ち上げからプロジェクトに参加していましたし、またキャラクターも可愛く愛着がありましたのでディレクターを引き受けたんです。でも最初は何をどうしたらいいか全然わかりませんでした(笑)。

-デザイナーとディレクターでは求められるスキルも異なりますからね

ええ、リードデザイナーとしては早い段階で意識していて、それまでに近い経験もしていたのでやれると思っていましたけど、ディレクターはまったくイメージしていなかったので戸惑いましたね。
なおディレクターは、全体ミーティングで議長を務めるのですが、余裕がなくて早くミーティングを終わらせようと、すごい早口で進めていました(笑)。

-(笑)! 平井さんのようにデザイナーからディレクターに、そしてプロデューサーに、というケースは珍しいのでしょうか?

いえ、けっこう多いですよ。私が所属している部署は、入社時にデザイン、プログラムなど各セクションへの配属があって、状況に応じてそれぞれのセクションリーダーになっていきます。
ディレクターやプロデューサーはセクションリーダーから選ばれることが多く、デザイナーやプログラマーが選出される場合もあります。
『ボーダーブレイク』シリーズプロデューサーの青木(盛治)さんもデザインセクションの出身ですし、アーケード版『ソウルリバース』のプロデューサーである酒井(清隆)さんも、元々はプログラマーですからね。
つまり、実力とチャンスさえあれば、職種の垣根をこえてさまざまな業務を手掛けることができるのも、弊社の魅力のひとつだと思います。

編集・執筆:ローリング内沢、村田征二朗

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