セガ・アーケードゲームヒストリー

2017.08.10 コラムを更新!好評連載中!

第9回ブンブン丸と振り返る『バーチャファイター』ブーム【後編】

2017年08月10日掲載

'90年代、突如として起こった『バーチャファイター』ブーム。そのブームを牽引したのは 今や伝説ともなった数々の名プレイヤーたちだ。

3D格闘ゲームの先駆者として、ゲーム業界および世間を一変させた、セガ先輩(敬意を表して、こう呼ぶ)の功績を垣間見るべく、当時の『バーチャファイター』ブームの立役者(名プレイヤー)のひとり、"ブンブン丸"に話を伺うインタビュー企画の後編となる
(前編はこちら)。

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初代『バーチャファイター』のブローシャ(チラシ)表紙

▲初代『バーチャファイター』のブローシャ(チラシ)表紙

『バーチャファイター』ブームが過熱するとともに、ゲームメディアのみならず、一般メディアまでもがその現象を取り上げるようになっていった。このようなことは当時としては非常に珍しかった。

一般誌では『SPA!』(扶桑社)や『AERA』(朝日新聞出版)、また地上波では『浅草橋ヤング洋品店』(テレビ東京系列)、『トゥナイト』(テレビ朝日系列)、『最大公約ショー』(TBS系列)など、雑誌・テレビ問わず、その"熱狂ぶり"を取り上げた。

「『トゥナイト』からはよく出演依頼が来ていて、何回か出させていただきました。(セガの)広報ではないですが、自分が好きなゲームを広めるべく、さまざまな活動をしていました。『バーチャファイター』を遊ぶプレイヤーが多ければ多いほど面白いじゃないですか。そういう人をひとりでも増やしたくて、またゲームの面白さを伝えたくて、さまざまなメディアに出ていましたね」(ブンブン丸)

もちろんブンブン丸だけではなく、『バーチャファイター』の有名プレイヤー(とくに鉄人と呼ばれていたプレイヤー)たちは、"『バーチャファイター』が強い"というだけで、それが仕事に繋がっていた部分も多いにある。たとえば、メディア出演、大会の解説、攻略本の執筆など。そういう意味では、まさに"プロゲーマー"のはしりと言ってもいいのかもしれない。

ブンブン丸(写真右)と一緒にいるのは、新宿ジャッキー氏(写真左)

▲ブンブン丸(写真右)と一緒にいるのは、新宿ジャッキー氏(写真左)。写真は当時のもの。

「ゲームをプレイしてお金を稼ぐ。そういう意味では高橋名人もプロゲーマーでしたよね。ただ名人はゲームメーカーの宣伝・広報として活躍していました。純粋なプレイヤーから生まれたプロゲーマーといえば、僕らが、最初かもしれません。当時は、『バーチャファイター』のゲーム大会にもたくさん出場しました。現在のように高額な賞金がもらえるという大会ではありませんでしたが、いろいろと賞品はいただきましたね」(ブンブン丸)

筆者が子どものころには、「いくらゲームが上手くなってもお金は稼げない(ご飯は食べられない)」と大人から聞かされたものだが、いまやゲームが上手いということがれっきとした職業になるなんて、非常に感慨深くもある。

そしてブンブン丸に単刀直入に聞いてみた。なぜ『バーチャファイター』は、あそこまで流行ったのだろうか?

「いろいろな理由が考えられますけど、ひとつにゲームそのものがすごくカッコよかったんですよね。オシャレなものとして、『バーチャファイター』が捉えられていた部分もあると思います。たとえば当時、渋谷のクラブで"ポリゴンジャンキー"というイベントも開催されましたし。そういう雰囲気的なものも含め、ふだんあまりゲームをしない人にも興味を持ってもらった、というのもあると思います。あとは、先ほども少しお話しましたけど、パンチやキックの動きにリアリティーがあるんですよね。さらに技が当たったときのインパクトや、また効果音の入るタイミングとか、すごく細かい部分まで良く作られている。格闘技やプロレス好きから見ると、ホントにリアル格闘技に近いんですよ。そういう意味では、ゲームというよりも格闘技やスポーツの楽しさに近く、そこにみんなが熱狂したのかもしれません」(ブンブン丸)

なるほど。『バーチャファイター』は、ゲームに詳しくなくても、非常に明快な作品だ。闘って、相手を倒せばいい。ただそれだけ。見ている側からしてもわかりやすい。だからこそ、多くの人たちにすぐ理解されたのだろう。

『バーチャファイター2』のブローシャ(チラシ)表紙

▲『バーチャファイター2』のブローシャ(チラシ)表紙

さらに気になることを聞いてみた。新宿ジャッキー氏、池袋サラ氏、柏ジェフリー氏など、他の有名プレイヤーたちの通り名には"地名+キャラ名"が多いが、どうして篠原氏は"ブンブン丸"なのか?

「当時、他のプレイヤーたちと麻雀に行ったときに、点数表にみんな『バーチャファイター』の通り名を書いていたんですよ。そのときまだ、自分には通り名がなくて、だれかが点数表に"ブンブン丸"って書いたんです。プロレス技を得意とするウルフというキャラクターを使用していたので、"地名+キャラ名"の流れからすれば、"新宿ウルフ"だと思うじゃないですか。でも、「お前はジャイアントスイングで対戦相手をブンブン投げるから"ブンブン丸"な!」と。あ、別に麻雀の打ち筋が"ブンブン丸"だからじゃないです(笑)」(ブンブン丸)

「インパクトのある倒し方が好きだった」との理由でウルフを使っていたブンブン丸。『バーチャファイター』の大会等では、ただ相手に勝つだけではなく、いかに豪快かつ、見ている人に楽しんでもらえる倒し方ができるかをモチベーションのひとつにしていたという。そういう意味では根っからのエンターティナーである。

ブンブン丸がプレイするとまわりにはすぐにギャラリーが押し寄せた

▲ブンブン丸がプレイするとまわりにはすぐにギャラリーが押し寄せた。写真は当時のもの。

そして、最後に、ブンブン丸は"セガ先輩"のことをどのように思っているのか? セガのアーケードゲームの魅力について伺った。

「セガのアーケードゲームは、先駆的なアイデアのゲームが多いのがいいですよね。3D格闘ゲームのはしりである『バーチャファイター』はもちろんですが、比較的最近では『ワールド クラブ チャンピオン フットボール(WCCF)』『三国志大戦』のようなトレーディングカードを使った作品、また『ワンダーランドウォーズ』のような特殊ペンデバイスを使った作品など。ゲームセンターは、コンシューマーゲームでは味わえない楽しさを体験させてくれる特別な場所なんですよね。そういう意味は、そのようなアイデアのゲームが多いのが嬉しいです」(ブンブン丸)

時代を先取りしすぎる"セガ先輩"だからこそ、世界初となる3D格闘ゲーム『バーチャファイター』が誕生した。これまでにないものだからこそ、異質に見える。とはいえ、時代を代表するゲームは大体異質なものが多い。それまでのジャンルに当てはまらないからこそ、人々は驚き、そして魅力的に見えるのだろう。

あらためて『バーチャファイター』は、当時のムーブメントも含めて、その後の3D格闘ゲームの礎となった"発明品"だと思う。

ローリング内沢

1970年、東京生まれ。ライター、編集者、ゲーム批評家。
ゲーム情報誌の編集者を経て、2000年4月よりフリーランスとして活動。
得意分野はゲーム、クラブミュージック、グラフィックデザインなど。
趣味が高じて、クラブDJとしても暗躍中。
イラスト:荒井清和

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参考資料:セガ・アーケード・ヒストリー(エンターブレイン刊)

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