第二研究開発本部 副部長 吉野慎一

新しい"遊び場"をつくる! 吉野慎一

代表作

  • ネットワーク対戦麻雀『MJ』シリーズ
  • プロデューサー

セガとの初めて出会いは、
縁日のくじ引きでした(笑)

-吉野さんの生い立ちについて教えてください。

1973年、茨城県・大洗町で生まれました。生まれてすぐに東京の日野市に引っ越しましたので、小学校、中学校、高校と、育ちはずっと東京です。
日野市は自然が多い場所ですから、幼少期は川で釣りをしたり、山に秘密基地を作ったりして遊んでいました。
小学生のころは少年野球に力を入れていまして、当時は、「将来、野球選手になりたい」と思っていたのですが、小学6年生のときに、近所の国分寺市に引っ越すことになり、転校先の小学校では野球よりもサッカーのほうが盛んだったこともありまして、すぐにサッカーに鞍替えしてしまったんです。まあ、単純に女の子にモテたかったという理由が大きいんですけど(笑)。
また当時は、ゲームにも熱中しまして、近所にあったゲームセンターや駄菓子屋で、よく『ギャラクシアン』(1979年/ナムコ)』、『平安京エイリアン』(1979年/電気音響)』、『パックマン』(1980年/ナムコ)』、『ドンキーコング』(1981年/任天堂)などを遊びました。
そして、家では両親に買ってもらった、"ゲーム&ウォッチ"(1980年/任天堂)や、"クレイジークライミング"(1981年/バンダイ)、"ゲームロボット九"(1981年/タカトクトイス)といった電子ゲームを楽しんでいましたね。
そんな流れのなか、「パソコンを操作する雰囲気が格好いいな」と思いまして(笑)、ファミリーコンピュータ(1983年/任天堂)のブームには乗らず、MSX(※1)にハマりました。そこでベーシックを学び、初めてプログラムというものに触れたんです。
パソコンへの興味がより強くなり、高校受験合格のお祝いとして親にNECのパソコンPC-8801を買ってもらいました。シミュレーションやアクションなど、さまざまなゲームで遊びましたね。

(※1):1983年にマイクロソフトとアスキーによって提唱されたパソコンの共通規格。複数のメーカーからMSXの仕様に沿って作られたパソコンが発売された。

-セガに入社することになった経緯は?

セガとの初めての出会いは、中学生のときに遊びに行った縁日でのこと。
ヒモを引くタイプのくじ引き(屋台)がありまして、その数ある景品のなかに、セガ・マークIIIがあったんです。「もしかしたら、これは取れるんじゃないか?」と思い、くじを引いてみたら…驚くことに見事当たったんですよ!(笑)
ゲーム機の景品って、射的やくじでは絶対当たらないものだと思っていたのでかなり衝撃でした(ホントに当たることもあるんだ…と)。 当時はセガのことをまったく知らなかったのですが、手に入れたセガ・マークIIIで、『ファンタジーゾーン』(1986年)や『北斗の拳』(1986年)を遊んでみたら、すごく面白くて!そこから、セガという会社に興味を持ち始めました。
大学では、ホログラフィや立体映像の研究に傾倒しました。
光学系の研究室でしたので、将来的にはカメラメーカーなどへの就職、という選択肢もありましたが、セガがホログラムを意識した『ホログラム・タイムトラベラー』(1991年)や『ホロシアム』(1992年)といったゲームを出していることを知り、「セガはこんなチャレンジもしているのか。面白そうな会社だな」と思ったんです。就職活動ではマスコミや商社など、さまざまな会社を受けましたが、最終的には「面白いこと」を求めてセガに決めました。マークⅢが当たってなかったら、違う人生になっていたかもしれませんね(笑)

-セガへの入社後はどのような業務を?

最初に携わったのはドリームキャストの『シェンムー』(1999年)です。履歴書に「中国の歴史が好き」と書いたのですが、「だったら『シェンムー』がいいんじゃない?」といった流れで(笑)、そのままプランナーとして携わることになりました。
『シェンムー』では、新人ながらに積極的に参加しまして、上司にその仕事ぶりを認めていただき、『シェンムー2』(2001年)ではゲームディレクターという肩書で携わりました。
その後は、『ザ キング オブ ルート66』(2002年)という、大型トラックでアメリカ大陸を横断するゲームのプロデューサーを務めました。、超大型ハンドルと無線マイクが設置され、「ニトロ!」と叫ぶとトラックがド派手に超加速するんです。音声認識デバイスの動作チェックのため、夜な夜な「中トロ!」とか「ネギトロ!」とか叫んでいました(笑)。
さらに同作にオリジナル要素を入れて家庭用ソフト(PS2・北米のみ発売)としてリリースしました。販売は北米でデバッグがインドだったので、現地との時差対応が難しかった反面、早くからグローバルな仕事に携われて良い経験になりました。
その後、『セガネットワークカジノクラブ』(メダル)、『MJモバイル』(スマホ/PC)を立ち上げ、現在MJシリーズプロデューサーを務めています。

※メーカー名はすべて当時のものです。

吉野慎一[後篇]

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