第三研究開発部 アートディレクター

全部楽しむ! 山下祐人

代表作

  • Wonderland Wars
  • アートディレクター

初めて遊んだゲームは、
祖父が作ってくれた
オリジナルのパソコンゲーム

-まずは、山下さんの生い立ちについてお聞かせください。

1984年、福島県のいわき市に生まれました。幼少期はレゴブロックで遊んでいた記憶ばかりでインドアな少年でしたね。
最初に遊んだゲームは、祖父が作ってくれたオリジナル作品のパソコンゲーム作品でした。和菓子職人だった祖父は趣味がパソコンで、自分でペイントソフトやシューティングゲームを制作してしまうほどの腕前だったんです。
家庭用ゲーム機に初めて触れたのは小学校の高学年になってから。そのときも祖父が両親に内緒でファミコンを買ってくれて。祖父はパソコンを操作するだけでなく捨てられたパソコンを拾ってきて修理するなど機械いじりも好きだったので、テレビゲームにも理解があったんですよね。
壊れたパソコンや楽器を祖父が直して私が使う、といったことも多く、そんなクリエイティブで多才な祖父の姿を見て育ちました。

-中学、高校生のときは、将来どのような職業に就きたいと思っていましたか?

当時は、バンドマンになることが夢でした(笑)。毎日、ピアノやギターを練習して、「将来はこれで食べていくんだ!」と思っていましたね。
中学に入ってから本格的にバンド活動を始め、遠方のライブハウスへ遠征することも増えたのですが、同時に自分のレベルに直面する機会も増えていって。
「この曲、いいな」と思うことはあっても、自分で「こういう曲を作りたい!」と真剣に考えたことがなかったんですよ。"あぁ、あくまで誰かの真似ごとでしかなかった"と気が付いたんです。
そこで改めて、「自分の可能性って何だろう?」と考えたときに、昔から絵を描いて褒められることが多かったことを思い出し、高校3年生の時に一念発起し美術部に入りました。
それまでマンガの模写などはしたことがあるものの、絵を本気で描いたことはなかったんですが真剣に絵を描き始めてみたらすごく楽しくて! 今後絵を続けていけば、"どんどん知らない景色が見えるのでは"と大きな未来を感じたんです。それがきっかけで、"美術関連の職業に就きたい"と思うようになりました。

-高校卒業後はどのような進路に?

高校卒業後は、福島を出て東京造形大学に進学しました。最初は現代美術を勉強していたのですが、2年ほど通ったのちに別のことを学びたいと思い、途中で多摩美術大学に編入して、そこでは彫刻を2年間勉強しました。
その後は、フリーターとして1年を過ごし、主にテレビ番組の舞台美術製作会社で、舞台セットを作っていました。いわゆる大道具さんですね。ひたすら発泡スチロールを削って色を塗ったり絵を描いたり……(笑)。
当時、僕の周りにはアーティストを目指す友だちが大勢いました。僕自身もフリーターを続けながら、アート系のコンペに作品を出しては受かったこともあったのですが、段々、アート業界の内向的な側面に閉塞感というかネガティブさを感じてきて。アートを通して、人を喜ばせる、もっとポジティブな活動をしたい、と考えるようになりました。エンターテイメント業界ではそれが実現できるのではと考え、東京芸術大学の大学院に行き2年間勉強をしてから、2011年にセガへに入社しました。

-セガに入社を決めたきっかけは?

ゲームメーカーやテレビ局など計5社ほど入社試験を受け、セガを含む数社から内定をいただきました。どの会社に入るべきかと悩んでいた時に、ふと思い出したことがあったんです。
……その昔、セガサターンの『サクラ大戦』(1996年)で遊んだときに、ゲームで初めて涙ぐむほどに感動して、それまでのゲーム人生のなかでも一番斬新な体験をしたなあ、と。
ドリームキャストで『サクラ大戦3巴里は燃えているか?』(2001年)がリリースされたときは、ドリームキャストを持っている友だちに土下座して貸してもらったな、と(笑)。
そんな思い出がフラッシュバックして、「もしかしたら、自分にはセガが合っているのかもしれない」と直感的に思いまして、入社を決めました。

株式会社セガホールディングス
セガ 製品情報サイト
セガプラザ公式サイト
セガグループ インターンシップ