第二研究開発本部 第二開発部 副部長

常に「その先」を考える 田中秀樹

代表作

  • 「Virtua Fighter5」シリーズ
  • 「初音ミク Project DIVA Arcade」シリーズ
  • メインプログラマー

子どもの頃は、目覚まし時計やラジオを
分解して遊んでいました

-幼少期はどのような遊びをしていましたか?

インドア派で、家で遊ぶことが多かったです。幼稚園~小学校低学年の頃は、レゴブロックで何かを作ったり、親の工具箱からドライバーを引っ張り出してきて、目覚まし時計やラジオなどを分解したりしていました。当時の家電は構造がシンプルで簡単に分解できたんですよ。

-分解した後は自分で組み立て直すのですか?

いえ、当時の知識では組み立ては難しかったので、バラす専門でした(笑)。「どのような構造で動いているのか」ということを理解するのが楽しかったんだと思います。
また、私は1973年生まれなのですが、ちょうど小学校3~4年生のころにガンプラ(『機動戦士ガンダム』のプラモデル)が流行りまして、それにもはまりましたね。説明書どおりに作るのではなく、好みでない部分を埋めたり削ったり、動かない関節を動かせるようにしたりと改造して遊んでいました。

-初めて家庭用ゲーム、あるいはパソコンに触れたのはいつですか?

中学生のときに、親に富士通のパソコン(マイコン)"FM-NEW7"を買ってもらったのが初です。ちなみに家庭用ゲーム機は、セガ入社後にセガサターンを購入するまで、友だちの家で遊ぶことはあっても、自分で所有することはなかったです(笑)。家庭用ゲーム機よりもパソコンにはまってしまったんです。

-パソコンを手に入れて、すぐにプログラミングを始めたのですか?

いえ、最初は市販のゲームで遊ぶだけでした。『プラズマライン』(1984年/テクノソフト)というレースゲームでずっと遊んでいました。すでに当時、ポリゴンのリアルタイム描画を取り入れていまして、技術的にはかなり高度なゲームでした。
とはいえ、同じゲームだけだと飽きてきたのですが、当時のパソコンゲームは、1本4000~5000円と高価で気軽に買えず。
そこで、「買えないのなら自分で作ってしまおう」と、"FM-NEW7"に附属していたBASICのマニュアルを擦り切れるほど読み込んで……その後は他のパソコン少年と同様、『マイコンBASICマガジン』や『ログイン』といったパソコン誌に掲載されていたプログラムリストを打ち込んで、ゲームの作り方を学びました。

-ご自分でゼロからゲームを作る機会もあったと思いますが、何を作ったか覚えていますか?

たしか最初はRPGだったと思います。中学校時代、パソコンを持っている友だちも増えていきまして、みんなでプログラムの見せ合いをしたんです。 当時の人気のあったRPG、『ザ・ブラックオニキス』(1984年/BPS)や、『ファンタジアン』(1985年/クリスタルソフト)に影響されまして、それらを真似したゲームを作りました。いま思うと、到底、人に見せられるようなプログラムじゃありませんけれど(笑)。

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