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Creator’s Interview セガ・インタラクティブ 第二研究開発本部 マルチデバイス運営開発セクション セクションマネージャー プロデューサー 平井徳一

笑う門には福来たる 平井徳一

代表作

  • 「ソウルリバース ゼロ」
    プロデューサー

代表作

  • 「ソウルリバース ゼロ」
    プロデューサー

あなたがここにいるから作品がある

―平井さんの幼少時について教えてください

はい、横浜で生まれ育ち、小学生のときはサッカーにはまっていました。「将来はサッカー選手になりたい」なんて夢を抱いていましたけど、中学校に入ってから上手い人との差を見せつけられて、その夢は砕け散りました(笑)。

―当時はどんなゲームで遊んでいましたか?

中学生時代は、部活用のスパイクやウェアを買っていたスポーツショップのとなりに、"ペンギン"っていう名前のゲームセンターがあって、よくそこに通っていました。 『テーカン ワールドカップ』(1985年/テーカン)のステージ6くらいに登場するウルグアイに勝てなかったこととか、『ワンダーボーイ モンスターランド』(1987年/セガ)の裏技でコインを大量にゲットしたことなどを覚えてます。めちゃくちゃ遊びこんでいましたね。

―家庭用ゲームよりもゲームセンターで遊ぶことが多かったのですか?

ええ、基本はゲームセンターでしたけど、PCエンジンやスーパーファミコンも遊んでいました。PCエンジンの『R-TYPE』(1988年/ハドソン)や『妖怪道中記』(1988年/ナムコ)はかなりやり込みました。ちなみに、両作品とも友だちに本体ごと借りたんですけど、いつの間にかもらっちゃったことになっていました(笑)。

―借りパクじゃないですか!(笑)

いやいや、きちんと返すつもりはあったんですが…すみません!

―(笑)! 当時、将来は何になりたいと思っていましたか?

当時通っていたのが、中学から大学までエスカレーター方式で進める学校だったんですけど、高校生のときに「そのままエスカレーター方式で大学に進むのは面白くないな」と思ったんです。
そのころ、すごく衝撃を受けたテレビCMがありまして、それを見て広告の仕事ができればと思い、美大を目指すべく高校2年生から予備校に通い始めました。結局、美大に入るまでに3浪したんですけど(笑)。

―その後、美大に入られて、どのような活動を?

当時はインスタレーション(※)をやりたくて、センサーを使って、人が前に立つとフラッシュライトが光ったり音が鳴ったりするような作品を作っていました。

(※)インスタレーション:室内や屋外など特定の空間にオブジェや装置を配置し、空間全体を作品として体験させる芸術表現。

いろんな考え方の人がいると思いますが、僕は絵でも何でも、「人に見てもらってこその作品だ」と考えていて。「見る人がいるから作品が存在する」、つまり「あなたがここにいるから作品がある」というのが大きなテーマでした。それでインスタレーションにはまっていったんです。

―広告の仕事を目指して入った美大ですが、作品づくりを通して、将来のビジョンは変化しましたか?

なにかしらの作品をつくって食べていけたらいいな、と少し変わりましたね。美大時代に抱いたテーマは、いまのゲーム制作への姿勢にも繋がっていると思います。

※ゲームメーカー名は当時のものです。

平井徳一[後篇]

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